デスマーチの終焉 [後編]

デスマーチを終わらせるには、そこに携わる人が変わらなければならないと思う。

システム開発の10年選手には、「デスマーチなんて普通でしょ?」という感覚を持つ人がいる。ここのところ自分にも、少しそんな気持ちが芽生え初めている。「デスマーチを乗り越えるのが仕事なんでしょ」みたいな。我ながらサイアクだなあ、と。

デスマーチが当たり前になると、仕様書が無いことにも、過密スケジュールにも、疑問を持たなくなる。そこの壁を超えてきた体力と精神力は、賞賛に値するかもしれない。武勇伝デンデデンデン、と言ってもいい。でも、これがデスマーチが終わらない一番の要因だと感じている。

デスマーチは、必ず滅殺することができる。その意志が大切。

以前、会社の先輩と話していて、デスマーチの原因は、日本でのソフトウェア工学の認識度の低さにある、となった。そう、大体デスマーチが起こるような現場には、アジャイル開発なんてボキャブラリは無いんだ。意志の低さは、恐ろしい。あああ。

もうひとつ精神論を言わせてもらえれば、マネージャーは手駒である開発者に対する愛情を、デベロッパ達はマネージャーに対する愛情を、もっと強く持つべき。マネージャーがいま以上にスケジュールの問題を抱えないように、今度の納期は絶対に守るんだ、とか。そういう愛が、足りない気がする。これこそ当たり前のことだと思うけど。

デスマーチは、必ずなくなる。そこにいる人の意志次第で。

Web制作の現場では、システム開発に見られるようなデスマーチが、まだ多くないと思う。そこまで大規模でなかったり、業界の歴史が比較的浅いので、人が次々に倒れるようなデスマーチが当たり前ではないからか。

あと数年もして、Webがより強大なメディアに成ったとき、本当のデスマーチが、その現場に訪れるかもしれない。くだらない慣習を溜め込んで。そのときに、是非とも突破できるように、今からできる限りのノウハウを持っておきたいなあ。

まずは、いま自分のいるデスマーチを、何とかしたいです。結局はそこんとこです。本当にありがとうございました。

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